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大野町

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あしあと

    旧北岡田家住宅について

    • 公開日:2021年6月24日
    • 更新日:2023年1月25日
    • ID:1172

    旧北岡田家住宅について

     北岡田家は、江戸時代に大垣藩領相羽村の庄屋や段木御用の土場船方取締を務め、苗字帯刀を許されていました。また、広大な農地を所有し、河川交通を基盤に財を築き、南岡田家と並び称されました。明治時代には戸長などを歴任するとともに南岡田家とともに段木会社を設立するなど、地域で重きを占めました。

    北岡田家住宅

    旧北岡田家住宅の概要

    【種   別】主屋:国登録有形文化財 / 庭園・表門・塀:大野町史跡
    【指定・登録】主屋:平成24年8月13日 / 庭園・表門・塀:平成15年10月20日
    【所在地】大野町大字相羽字村通282番地

     旧北岡田家住宅は、揖斐郡大野町大字相羽字村通282番地に位置し、川石垣を土台とする高い瓦葺塀に囲まれた3,882.6平方メートルの広大な敷地に、庭園、主屋、離屋、米蔵、道具蔵、納屋等が配され南北に門を開く大規模な邸宅です。5代当主岡田善麿が30年の歳月を費やして完成させました。手を尽くして集めた最高の資材を用い、名匠と知られる職人に造作させた当地における近代和風建築の意匠・技術の到達点を示しています。
     特筆できるのは保存状態の良さです。近世・近代地主層の屋敷は、戦後の農地解放により人手に渡って改変されたり、傷んだまま放置されている建物や高度経済成長期に取り壊された建物も多く、当時のまま良好に保存されていることは貴重です。
     平成24年8月13日、主屋が「上質な造作と豪壮な屋敷構えをもつ近代和風建築」と評価され、国登録有形文化財に登録されました。庭園・表門・塀は、平成15年10月20日に大野町史跡に指定されています。

    <主屋>
     地元の名棟梁 松浦治之助氏により、大正3年(1914)に起工し、同5年に竣工しました。屋根切妻造瓦葺2階造の建物で、正面右寄りに入母屋造瓦葺の客用玄関「式台玄関」が突き出します。建築面積431.95平方メートル、大小17の部屋を有するなど規模が格段に大きく、45cm角の大黒柱をはじめ、太くて曲がった黒い梁などによる架構、48cm×17.5cmもある太い差鴨居など、木割が太く構造的にも安定しています。
     「仏壇の間」の折上小組格天井のように最高の造作が行われ、南西奧15畳の「座敷」の付書院西に設けられた庭園を望む大きな窓や、採光に配慮した多くの天窓、棟の東西に設置された避雷針など、時代を反映した意匠も随所にみられます。このほか、式台玄関の右手「表口」に当時のまま遺されている両開戸、押上げ式大戸なども貴重です。

    北岡田家住宅庭園 秋の紅葉

    秋の紅葉の様子(庭園)

    <庭園・表門・塀>
     敷地全体が道路より約1.5m盛土され、その周囲を玉石垣と松・栗を基材とする瓦葺の板塀が巡っています。明治45年から大正3年にかけて松浦治之助氏の手により建築されました(南~西の約107mは町史跡)。なお、北面西は古いブロック積み、同じく東は舟板貼で当時の流行です。表門も松浦治之助氏の作で、明治42年に建築された瓦葺の槻造門です。40cm×20cmの太い柱と幅1mもの一枚板の扉に圧倒されます。
     庭園は、見延の名庭師 松尾十一氏により、明治44年から大正2年にかけて造園されました。式台玄関脇の門から離れの南・西・北を巡り、渡り廊下まで約1,300平方メートルにおよびます。敷地南西に深い池を設けて築山を築き、滝も設えられています。築山の最高所と池底の高低差は5.5mという大がかりなものです。池を中心に数百の庭石、150余の樹木、16基の石燈籠が配されています。この庭は灯台躑躅の紅葉の見事さで知られていますが、灯台躑躅が築庭によく使用されるようになったのはこのころからです。

    北岡田家表門

    表門(東から)

    南岡田家南面の石垣と塀

    南面の石垣と塀(西から)