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国宝絹本著色五大尊像と来振寺

[2018年8月3日]

来振寺

 来振寺は霊亀元年(715)行基の創建と伝える揖斐郡内最古の名刹で、始めは法相宗で新福寺と呼ばれました。神亀2年(725)の夏、この地に黄金色の雪が降り、その瑞祥を伝え聞いた聖武天皇の命により、来振寺と改称し勅願寺に列せられたということです。七堂伽藍十二坊を建立し、後に真言宗に改宗しました。
  鎌倉時代以降隆盛を極め、僧兵二百数十名を擁していましたが、享禄3年(1530)6月3日の根尾川の大洪水で寺領の田畑を流失し、さらに永禄3年(1560)には、織田信長の兵火により伽藍・僧坊などが焼失し、寺は退廃したと伝えられています。
  その後、慶長・元和年間(1596から1623)、豊臣・徳川両氏の朱印状を受け、領地を与えられたことにより再興しました。
   国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像・十一面観音立像・大般若経・掛仏・駕籠など、県・町の指定文化財を多く有しています。2月第1日曜日に行われる「節分星まつり」(町無形民俗文化財)は有名です。
 西美濃三十三霊場第二番札所と美濃新四国第五十五番札所となっています。
  

来振寺写真

絹本著色五大尊像

種別・種類:国宝 絵画
所在地:奈良国立博物館(寄託中)
指 定:昭和49年6月8日 国重要文化財に指定 平成16年6月8日 国宝に指定
 
 五大尊とは、不動・降三世・軍荼利・大威徳・烏蒭沙摩(金剛夜叉)の五大明王の総称です。忿怒形の五大尊は、内外の摩障を降伏せんがために示現した五仏、即ち大日・阿しゅく・宝生・無量寿・不空成就の五如来で、強剛難化の衆生を降伏し、化導せんがために示現した大忿怒身、即ち教令輪耳であると説いています。仁王教では五菩薩の化身と説いていますが、のち仁王教法を修するようになり、摂無礙経の五仏の化身と同様に考えられるようになりました。
 北方には真言宗(東密)では金剛夜叉明王を配しますが、天台宗(台密)では烏蒭沙摩明王を配しています。五大尊は、兵乱の鎮定または、息災・増益を祈る五檀法・五大尊供が修せられるときの本尊として尊崇され、古くは弘法大師が宮中真言院で修し、玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穰を祈願しました。
(写真は左から不動明王・軍荼利明王・大威徳明王・降三世明王・烏蒭沙摩明王)
不動明王写真
軍荼利明王写真
大威徳明王写真
降三世明王写真
鳥蒭沙摩明王写真

岐阜県指定文化財(絵画)を所蔵しています。

 絹本著色 如意輪観音像

 絹本著色 弘法大師御影像

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