【種別・種類】 国重要文化財(建造物)
【指 定】昭和54年2月3日
【所在地・連絡先】大野町大字西方587番地1 電話0585-32-0252
主屋は、牧村家10代目の利隆が元禄14年(1701)頃建てたと伝えられています。
建物は南向きで、当初は茅葺きか藁葺きの屋根、桁行8間(15.8m)・梁間4間(7.6m)の広間型三間形式でした。その後、19世紀中頃から数度の増改築が行われ、昭和54年の指定時には、屋根は入母屋造・四面桟瓦葺きの庇付きで、桁行17.7m・梁間9.5mでした。
昭和56年4月より解体調査が実施され、部材の仕上げや構造手法から、言い伝えの通り18世紀初頭の建築と判明しました。そして調査結果に基づいて昭和57年3月には建築当初の姿に復元されて今日に至ります。
牧村家は安八郡牧村の発祥といわれ、三代利貞は千利休の高弟として知られています。一時後継がありませんでしたが、縁者の清水城主稲葉重通(一鉄の長子)が、一子愛通を第7代当主牧村兵庫頭地利定として牧村家を再興させたということです。
利定は、野村一万石の城主 織田河内守長孝(信長の弟有楽斎の子)に仕えましたが、織田氏が寛永8年(1631)に断絶した際に、西方村に閑居したと伝えられます。牧村家には現在も祖先のものと伝えられる甲冑などが保存されています。
牧村家住宅には「鳥居建形式」と呼ばれる架構がみられます。「鳥居建形式」は尾張・西三河・美濃・湖北地方(滋賀県)等広い地域で見られたましたが、ほとんど現存していません。鳥居建とは、上屋の中で柱や梁等の構造体の組み方が神社の鳥居に似ているところから名付けられたものです。
牧村家住宅では、鳥居建構造を次の3ヶ所にみることができます。
・土間と床上部境の梁間
・土間南面入り口
・ダイドコロ北面桁行上屋筋
牧村家住宅は建築年代が古く、県内の重要文化財指定の民家建築では最古のものです。また、改造されているものの主要部分はほぼ建築当初のまま残されており、主な建材は建築当初のままです。
住宅平面図
鳥居建構造図