来振寺は霊亀元年(715)行基の創建と伝える揖斐郡内最古の名刹で、始めは法相宗で新福寺と呼ばれました。神亀2年(725)の夏、この地に黄金色の雪が降り、その瑞祥を伝え聞いた聖武天皇の命により、来振寺と改称し勅願寺に列せられたということです。七堂伽藍十二坊を建立し、後に真言宗に改宗しました。
鎌倉時代以降隆盛を極め、僧兵二百数十名を擁していましたが、享禄3年(1530)6月3日の根尾川の大洪水で寺領の田畑を流失し、さらに永禄3年(1560)には、織田信長の兵火により伽藍・僧坊などが焼失し、寺は退廃したと伝えられています。
その後、慶長・元和年間(1596から1623)、豊臣・徳川両氏の朱印状を受け、領地を与えられたことにより再興しました。
国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像・十一面観音立像・大般若経・掛仏・駕籠など、県・町の指定文化財を多く有しています。2月第1日曜日に行われる「節分星まつり」(町無形民俗文化財)は有名です。
西美濃三十三霊場第二番札所と美濃新四国第五十五番札所となっています。
岐阜県指定文化財(絵画)を所蔵しています。
絹本著色 如意輪観音像
絹本著色 弘法大師御影像