大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地です。垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂(大野町公郷の古い村名)に生まれたと記されています。半兵衛の弟久作(重矩)、従弟源助(重利)もこの地で生まれています。平成8年4月、竹中氏ゆかりの八幡神社の一角に石碑が建立されました。
【種別・種類】町史跡
【所在地】大野町大字公郷
【指 定】平成8年3月8日
江戸時代にこの地を治めた旗本加藤氏の文書では、大御堂城は月真寺の西にあったと記されています。現在では遺構ははっきりしませんが、昭和30年代までは大御堂城のものと伝えられる土塁や堀が残っていたそうです。残念ながら土地改良事業により改変されて、往事の面影をみることはできません。
◆牧村家土塁
牧村家は竹中氏の下屋敷と伝えられています。
◆月真寺
当地における竹中家の菩提寺で、大御堂城内の一画と言われています。半兵衛の父重元の墓や一族のものと伝えられる五輪塔があります。
◆八幡神社
竹中家の鎮守とされ、半兵衛は菩提山城に移ってからも毎年例祭には代参させて金穀の供進を行っていたと伝えられています。
牧村家土塁
月真寺
八幡神社
月真寺の境内にあります。
重元は土岐氏、斎藤氏に仕えましたが、斎藤道三と子の義龍が戦った長良川の戦いでは道三方に味方しました。
後に菩提山城に居を移し、近江の六角氏の求めに応じて浅井氏と戦うなど活躍しました。