【種別・種類】町史跡
【所在地】大野町大字公郷
【指 定】平成8年3月8日
大御堂とは、大野町公郷の古い地名です。秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地です。
垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂(大野町公郷の古い村名)に生まれたと記されています。半兵衛の弟久作(重矩)、従弟源助(重利)もこの地で生まれています。
大御堂城跡は、江戸時代の古文書に月真寺の西にあったと記されています。字絵図や発掘調査(平成25・27年度実施)等により、城の規模や土塁の痕跡などが明らかになり、令和5年3月、整備が完成しました。
◆月真寺
大御堂城内の一画であったともいわれ、かつては海禅寺(改禅寺とも書く)と呼ばれ竹中氏の菩提寺だったと伝えています。境内には、江戸時代に公郷を治めた旗本加藤氏の墓所や、半兵衛の父 重元の墓があります。
◆旗本加藤平内墓所(町史跡 平成17年5月27日指定)
江戸時代に公郷を治めたのは竹中氏の親戚筋にあたる旗本加藤氏です。加藤氏は寺名を月真寺と改め、菩提寺と定めて歴代の墓所を営みました。
◆牧村家土塁(町史跡 平成13年7月24日指定)
竹中氏の下屋敷と伝えられ、四方を土塁で囲まれています。
◆八幡神社
竹中家の鎮守とされ、半兵衛は菩提山城に移ってからも毎年例祭には代参させて金穀の供進を行っていたと伝えられています。
牧村家土塁
月真寺
八幡神社
【種別・種類】町史跡
【所在地】大野町大字公郷
【指 定】平成17年5月27日
月真寺の境内にあります。重元(読みは「しげちか」「しげもと」両説がある)の墓は明泉寺(垂井町)にあり、月真寺の墓石は江戸時代前期の建立と考えられます。
重元は土岐氏、斎藤氏に仕えましたが、斎藤道三と子の義龍が戦った長良川の戦いでは道三方に味方したため、大御堂城は義龍軍の攻撃を受けたと伝えられています。後に菩提山城に居を移し、近江の六角氏の求めに応じて浅井氏と戦うなど活躍しました。
没年については、永禄3年説・5年説が知られていますが、この墓石には永禄4年と刻まれています。